なんでキッズは極端に残酷な子とその真逆な子に分かれるのか。
むらさきです。よろしくどうぞ。
一部の生き物以外は特に触ることに抵抗がなかった
既に24歳にもなる僕ですが未だに嫌いな生き物No.1はカエルです。
僕はゴルフが好きでアウトドアな趣味といったらゴルフくらいなものなのですが、梅雨に入る6月頃から8月の真ん中辺りまでゴルフ場は奴らの巣窟と化します。
青々と広がるフェアウェイから夏特有の鬱蒼としたラフ、至るは刈り上げられたグリーンまで奴らの脅威が潜んでいるものです。
大小に関わらず、ダメです。
半径1m以内に存在が確認されようものなら僕は奇声を上げて跳びのきます。
今年の夏の甲子園で話題になった金足農業エースの吉田輝星くんですが、彼もカエルが嫌いだそうです。
あれ?もしかして、僕は当代のエースピッチャーだった…?
そんな親近感を抱きながらも大阪桐蔭はやはりすんごいエリート集団やのう、とろくに知らない高校野球事情をにわか臭醸しながらひけらかす夏でした。
あ、でもゴルフは行ったよ!カエル如きに邪魔されてなるものかよ!なあ!
何回もビビって奇声あげてすんませんっした!
本題に入りますが、幼少の僕はカエル以外の生き物であれば、下町に生息しているであろう生物のほとんどは触ることに抵抗がありませんでした。
故に
残酷。
小学校低学年までの何割かの児童は、総じて
残酷
なのです。
僕の場合は、主に虫、昆虫類にとってはサイコパスであり、天敵以外の何者でもなかったでしょう。
僕が憶えている限りで行ってきた残虐非道な行いを、懺悔とともに文章にして綴ります。
目につく限りのアリの触角を引きちぎる
当時の僕はアリを見つけるたびに捕獲しては彼らを眺めて過ごしました。
彼らを潰さないように柔らかく指で挟み、動きを観察すると
なんか頭から生えてるやつですげえ触ってくるじゃんこいつら
と気づき、この器官が彼らにとってどれだけ大事なものなのかカケラも考えず引きちぎりました。
思えばそれがすべての始まりだったのかもしれません。
触角を奪われた彼らのおこす行動というのは主に
ただひたすら直進
円を描いてグルグル回る
一切動かなくなる
この3つに集約されます。
更に直進性のある個体に関しては上下の概念を与えると、上に登る習性があることにも気づきました。
腕に乗せ、上下を入れ替えると丁寧に真逆に登っていくのです。
最初の数匹はこういったある意味有意義な実験に付き合ってもらった個体になるのですが、以降の個体は総じて僕の暇つぶしのためだけに触角を失ったのです。
ごめんなアリたちよ。
命を奪うでもなく、巣にも戻れず苦しい思いをさせただろうに。
理不尽だった僕を許してくれとは言わない。
安らかに眠れ……。
少なくとも犠牲になったアリさんは50匹は下らないでしょう。
人生で気付かずに踏んでしまう彼、彼女らの数はいかほどのものなのか……。
シジミチョウの羽根を半分だけ引きちぎる
半分ってあんた、こうじゃないからな?
こうだぞ
2枚ずつある片方なくなったら飛べねえのはキッズの僕にも分かりきってたんだ。
犠牲になったシジミチョウはおそらく20匹前後。
意外と飛べるじゃねえか
と、最初は半分にも満たないほんの少しをちぎっていたのを半分になってやっと飛べなくなったのを見て、そこからは半分だけちぎるようになりました。
そこからはまたしても楽しいからちぎるという暴挙に。
とりあえず彼らも野に帰していましたが、生きる為に必須だった器官を奪われているのですから彼らの命も僕が奪ったようなものです。
ごめんなシジミチョウたち。
僕はきっと来世以降君たちより酷い目にあって死んでいくことだろう。
トンボの羽根を半分だけ引きちぎる
ここまで来るとお気づきでしょうが、幼少の頃の僕はチギリスト系サイコパスだったようです。
思い返すと捕まえた羽根のある昆虫は、とりあえず羽根を半分だけ引きちぎっていた気がする。
トンボもシジミチョウと同じです。少しずつ飛べなくなるラインを探していました。
というよりじつは、不慮の事故によってトンボの羽根を片方全摘してしまったことがありまして、その時に筋肉の繊維であろうピンクのピロピロを見て
うへ、きんも〜
と思ってしまったことで
引っこ抜くのはなしやなと結論が出たので、半分に控えただけです。はっきり覚えとる。
なので正確に言わせていただきますと、シジミチョウやトンボだけでなく
- 蝶全般
- アブラゼミ
- カゲロウ全般
などの羽根は基本的に半分ちぎってました。
命を学ぶのにだいぶ時間がかかったせいで申し訳ない。
蝶の鱗粉を全て奪う
蝶の鱗粉が無くなるとどうなるか知ってる?
透明な葉っぱみたいになるねん。やや枯れ葉みたいな。
小2の僕が絵の具セットの筆で丁寧にこそげ落とした結果わかったことでござる。
こうなると水を弾かなくなるし、あまりうまく飛べなくなる。
勉強になったやろ!
鱗粉にはそういう役割があったんやなって。自由研究の課題でも何でもなく勝手にやった記憶。
研究要素強めながらも何の成果を得たわけでもないので蝶には申し訳ない気持ちでいっぱい。
BB弾を蜂の巣にしてやるほど見舞う
小学校低学年の中盤にもなるとですね、男の子という生き物はお祭りやホビーショップなどでエアソフトガン、いわゆるエアガンを手にします。
パシュッっと発射されたBB弾は低威力のものであれば人に当たっても蝿が止まった程度なのですが、ガスガンなら痣はほぼ確定で酷いと出血まであります。
もちろん8歳や9歳のクソガキですので高校生くらいの兄がいたりしない限りガスガンを手にすることはまずありません。
しかし、僕たちの世代でおもちゃ屋で手に入ったエアコッキングガンでも、普通に当たると痛いレベルでした。
大人になった今でも撃たれたら拳骨5発くらい入れて仕返しするわ絶対。
そういう痛みを伴う遊びがいじめにつながるのは目に見えていまして、僕たちはお互いを撃つような遊びは早々にやめて標的は虫たちに。
とんだとばっちりですが、当時の僕たちには良心の呵責はなかったと言ってもよいでしょう。楽しいことが全てでした。
モンシロチョウやトンボ、友達の家で増えすぎたカブトムシやコガネムシ、そして偶然現れたGなどが的になりました。誠にひどい話です。
今思えば小さな虫にすればBB弾は僕たち人間に大砲の弾が直撃するくらいの威力ではないでしょうか。
虫たちの怨念に取り殺されてないところを見ると、僕より業の深い奴がいるみたいですね。
順番はそう遠くないかもしれないですが……。
家で見かけた蜘蛛はほぼ水責め
家で見かける蜘蛛と言えば、
- ハエトリグモ
- アシダカグモ
ここらへんですね。
都会になるとアシダカグモはあまり見かけないかもしれません。
ハエトリグモめっちゃかわいいですよね。ぴょんぴょんってさ!
彼ら家に出る蜘蛛は基本的に益虫です。
僕らの嫌いな蝿やGを餌にしているので非常にありがたい虫です。
キッズな僕はそんなこと知らなかったんですがハエトリグモは好きで見かけるとすぐ捕まえていました。
じっくり観察するにはハエトリグモは少し落ち着きがないので、僕が取った手段が
トイレに放り込む
ということでした。
しばらくアメンボのようにスイスイ泳ぐ彼を眺めて飽きたらジャーーーーーっとね?してたわけです。
虫かごやペットボトルにでもいれればいいのに何故かトイレ。
その前でニヤニヤしながら観察して飽きたら流すとか……。
ホントすまん。
アリの巣に熱湯を注ぐ
僕はアリに何の恨みがあったんでしょうか。
書いててあんまりな自分の酷さに聞ける数少ない数人にアンケートを取りました。
Q.僕は過去、アリに対して残虐な行為を働いてきました。あなたにそのような経験はありますか?
- 彼女「うわ、ひっど。やるわけない」
- 友達1「わいもやったンゴ」
- 友達2「男児たるもの蟻を駆逐してこそじゃ」
- 友達3「蟻って食べると甘いよね」
- 友達4「昔から虫はNG」
3番目の奴食ってんじゃねえよ!!!!!
まあ己の糧としてるだけ僕よりマシか……。
これはあくまで僕の周りの意見なので、サイコパスだらけなのかそれとも男の子はわりと通った道なのかはっきりとはわかりません。
友達少なくてすいません。これも虫の命を粗末にしてきたせいですかね。
あ、どうするかっていうとですね。
想像つくだろーーが!!!
家の近くにアリの巣を見つけたら家でチンッチンに熱したお湯入れたやかんもってダバァだよ!!
どうだ!ひでえだろ!
今では当時の自分が全く意味がわからないです。
でも逆に砂糖とか飴とかを巣の目の前に配給した記憶もある。落差がすごいツンデレ。
壊滅したであろういくつかの蟻家族、面白半分に君たちを殺してすまなかった。
子どもは虫を通して命を学ぶ
虫さんをいじめちゃいけないよ!と声を上げる子はもちろんいました。
感受性が高くとても優しい子ばかりでした。
しかし、実際に虫たちの命を奪ったりすることを通して学べる子も多数いるのです。
言い訳にはなりませんが、虫たちは「痛い」と叫ぶことも無ければそういう仕草も見せません。
現状研究の結果、痛覚がないとされてはいるみたいです。
それ故に子どものいたずらの対象になってしまっています。
もちろん命を粗末にしている行為なのでめちゃくちゃ悪いことだと思います。
でも同時にしょうがないのかなとも思います。
自分がそうだったのもありますけれど、普通に生きていればいずれ
虫を殺すことも忌避するようになるのです。
何故かと言うと、単純に虫と触れ合う機会が減ると触ることにも抵抗がでてくるからです。
蚊やゴキブリなんかは大人でも平気で殺します。
同じ命です。
そういう矛盾がジレンマを生んでいるので、実際今の今までそれが普通にまかり通ってきたわけですから。
結局人間は自分に害を与えるものとは共存できないのだと思います。
僕が人の親になれたとして、どう導いてあげるべきか。
きっと僕は害虫と益虫がいるということから話すでしょう。人間も同じですが、きっとそれは成長するにつれてわかってくることでしょう。
まずは彼らにとって身近になる虫や、ペットである犬猫についてちゃんと教えてあげるべきなのでしょうね。
命はとても尊いもので、儚いからこそしっかり考えなきゃいけないですね。
むらさきでした。では、また。